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Channel: 宗教批判と全啓示の哲学
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霊的存在が死者ではなく全き他者の場合の試論(仮説)

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『黒い破壊者』中村融・編訳(創元文庫2014)
 収録作品の半数の訳者でもある編者は、あとがきで「アンソロジーを編む最大の動機は、埋もれた佳作を世に出」す事、と云っている。確かに、六人の誰一人として今まで読んだ事はない作者ばかりだった。
SF作家の想像力が存分に発揮された作品は、言葉の為の言葉と化している今日の文芸作品以上に付いて行けない処がある。McKennaのフィト(動物性植物)ザナシス、Schmitzのグランパ(私なら大父とでも訳したい)、Andersonのテレパス(心が読めるプラズマ)ルシファー、Youngのドライアド(樹の妖精)、Vanceの海棲知性体デカブラック、Vogtの悪猫種族、どれをとっても哲学書とは違った意味で一回読んだだけでは到底理解できるようなものではない。Vogtのもの以外は何らかの意味でハッピーエンドを迎えると云っておいてもいいかもしれないものの、宇宙生命との出遭いが実際ハッピーなものであり得るかどうか、また歴史まで遡ってその時点で考え直さねばならないとしたら単純には喜べないより複雑な問題を抱えている事が判る。

表現として秀逸だった例を上げておくと、
「テレパシーは波動現象ではない。・・・それを妨害できるような物質現象も存在しない」(キリエ)
テレパシーがこれまでの物理学では説明できない事を適確に言い表している。
「おのれの脳髄から発してくるのにちがいない・・・だがそれは、彼の心をその源とするには、あまりに甘く、あまりに痛切だったから、とても彼自身の脳髄から発してくるものとは思えなかった」(妖精の棲む樹)
意識の事実、心の真実を重視する主観性の哲学に対してそれを単に脳内現象で説明して事足れりとする事は出来ず、作品としてのSF以上にSF的な思考、思想、新しい哲学が更に必要とされていると考えさせてくれる部分である。

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